MY SOUP DAYS スープボウル1杯分のちいさな小説

Vol.11 タイムゴーズバイ

 飲みすぎた俺たちは夜明け近く春の街を歩く  菜種梅雨の不安定な天気がつづき、ときに強い風が吹く。春の気候は案外激しい。それは、長い冬を終えて夏を迎えるための通過儀礼のようなものなのかもしれない。新しい季節へ向かうには脱皮が必要なのだ。  高校の卒業式は、ちょうどそんな日だった。強い南風が吹き込み、細かい雨が校庭を舞っていた。風の中に微かに甘い花の匂いが混じり、それがかえって心をざわつかせた。  その日、俺はある重大な決意をしていた。きょう古川玲子に告る。そう決めて朝から心がざわついていたのだ。卒業式はそこそこ胸に迫るものだったが俺はそれどころではなく、仰げば尊しを歌いながら卒業ソングはなんだかんだいってもやっぱりこれがベストだななどと涙ぐみそうになったりもしたが、実際のところそれどころではなかった。式が終わり、俺は古川玲子を自転車置き場に呼び出し、お前が好きだ、と息も絶え絶えに告白した。ありがとう、と彼女が言ったのはいまでも覚えている。東京へ行ったらまたちょくちょく会おうね、とも言われたように思う。その、「ありがとう」と「ちょくちょく会おうね」の間に、「ごめんね」という言葉が聞こえた。フラれたようだ。古川が小雨の中を走り去っていく後ろ姿を腑抜けたように見送りながら、俺の脳はようやくそれを理解した。その夜、泉田に電話した。泉田も古川のことを憎からず思っていると、俺は察知していたからだ。古川に告白したことを伝えると、泉田はこう言った。 「そうか。俺もだ」  そうして俺たちの高校生活は終わった。  その後、俺たち3人はそれぞれ別の大学に進学し東京に出た。そしてなにごともなかったかのようにときどき会うようになり、社会人になってからはそれこそちょくちょく会うようになっていった。卒業式のあとのことを、俺と泉田はあえて話題にして3人で笑い合うこともあった。あれは故郷の風景の中の、制服を着た気恥ずかしい時代のひとコマだと、そう思うようにしていたのだ。俺も、たぶん泉田も。  ある雨の夜遅く、酔っ払った古川が突然訪ねてきたことがある。会社に着ていくには少しおしゃれすぎるように思えるきれいなワンピースを着て、彼女はめずらしく飲みすぎているようだった。いつもの明るい古川とは違って、その目は泣いたあとのように潤んでいた。俺は内心ドキドキしていたが、古川はワインをたてつづけに飲んで、やがてそのままの格好でソファーに寝てしまった。古川が足を伸ばせるようにソファーに置かれた彼女の荷物を片づけているとき、どこかのショップの紙袋の中に、ていねいにラッピングされてリボンがかけられた小さな箱が見えた。その晩、誰かに渡すつもりだったのかもしれない。古川に毛布をかけてやり、俺は仕方なく残ったワインを飲みながら彼女がコンビニかなにかで買ってきた乾き物をつまんでいた。そのうち小さな寝息が聞こえた。酔っぱらっていたせいかもしれないが、なぜかそのとき俺は、この東京で古川を泣かせるすべてのものからこいつを守ってやるんだと、猛然と思ったりしたのだった。このことは泉田にも話していない。なんとなく話すべきことじゃないんじゃないかと、そう思えた。  東京の友達の前では使わなかっただろうが、古川は俺たちの前ではときどき友情という言葉を使った。俺たち3人の友情はその後も均衡を保ったままずっとつづいた。だがもし俺が、いや、仮に泉田でもいい。どちらかが古川に再び告白し、それを古川がこんどこそ受け入れたなら、俺たちはいままでと同じでいられるだろうか。いつかこの均衡が崩れるときがきたとしたら、それはそれで仕方のないことかもしれないと、俺は思っていた。そして、卒業から10年が過ぎたある春の日、俺と泉田は彼女に呼び出された。電話の向こうで「話があるの」と、古川は言った。  待ち合わせの喫茶店に俺も泉田も早めに着いていた。向かい合わせに座ればいいものを、なんとなく古川の審判を受けるような気持ちになっていた俺たちは、気がつくとバカみたいに並んで座って彼女を待っていた。カラーンカラーンとドアに吊るされたカウベルの音がして古川がやってきた。古川は注文した紅茶が運ばれてくるとひと口飲んで、「あのね」と口火を切った。ゴクッと唾を飲む音が聞こえたような気がしたが、俺のか泉田のかわからなかった。そして、ついに審判が下った。 「あのね、わたし結婚するの」  10年とはこういうことなのだ。海面は3cm上昇し、大学の寮の一室ではじまったベンチャーは世界最大のSNSへと成長し、小学4年生は成人する。ウェディングドレスを着た古川玲子は心底美しかった。あの自転車置き場のときから10年分ちゃんと大人になり、10年分きれいになった。俺と泉田はなにも変わらなかった。この10年間、俺たちはなにをやっていたのだろうか。披露宴のあと痛飲した俺と泉田は、夜明け近く、新聞配達のバイクとすれ違いながら白みはじめた街をよたよたと歩いていた。 「卒業しないとな」と俺がぼそっと言うと、 「俺たちも脱皮の時期だな」と泉田が前を向いたままぼそっと答えた。  南風が強く吹いていて、どこからか微かに甘い匂いを運んできた。10年前の卒業式の日と、同じ匂いだった。

Vol.11 飲みすぎた俺たちは夜明け近く春の街を歩く

おかげさまで
10周年

10th Annivarsary

今年チャウダーズは、10周年。これからもおいしいスープをご提供いたします。
Back Number
  • Vol.1 Juli@ボストン・クラムチャウダー
  • Vol.2 秘密@パンプキンパーティー
  • Vol.3 冬の星座
  • Vol.4 ふたりの温度差
  • Vol.5 春の夜、高架鉄道の走る町で
  • Vol.6 雨の音はどんな音
  • Vol.7 ターコイズブルー
  • Vol.8 再試合
  • Vol.9 クリスマスの片隅で
  • Vol.10 タイムゴーズバイ
  • Vol.11 飲みすぎた俺たちは夜明け近く春の街を歩く
  • Vol.12 蝉の婚活