MY SOUP DAYS スープボウル1杯分のちいさな小説

Vol.7 ターコイズブルー

 そもそもの発端はこうだ。円高だのなんだのでうちの会社もいろいろ大変なわけなのだが、ここのところインドネシアへの輸出が好調だったりしてボーナスもわりと出たし、久々に同期会でもやろうかということになって、ゆうべ10人ほどで金曜日の街に繰り出した。居酒屋を何軒かまわり12時近くになっても勢いはとまらず、30歳を目前にしながらまったく脂の乗り切っていないぼくらは、体力だけはあって夜には強いが酒の飲み方はまだまだ青臭く、カラオケになだれこんだあたりから例によってだんだん収拾がつかなくなりはじめた。総務の酒井がデスメタルのような怒声でポニーテールとシュシュをがなりたてる横で営業3課の緑川千恵が踊り、その横では営業1課の堀井と宣伝の高野がナポリタンを食べながら、口のなかにパスタを詰め込んだまま俺に言わせればどうのこうのとまるで内容のない議論を熱っぽく繰り返していた。IR担当の岩井はワイシャツの裾をズポンからはみ出させたまま爆睡し、まぶたにマジックで描かれた目がこちらを見据えていて不気味だった。飲み疲れて狭い室内にこもった空気が不快になってきたぼくは、高野が「フォークで人を指差すなっ」と口にものが入ったまま叫ぶのを聞いたあたりで部屋を抜け出した。    新鮮な空気を吸いたいと思ったが外まで出るのが面倒で、廊下にあった自動販売機でコーラを買い、その横に置かれた長椅子に腰を下ろした。冷えたコーラをおでこに当てると心地よかった。遠くから聞こえる祭りの音のように、それぞれの扉からそれぞれの歌がかすかに聞こえていた。そして、そのまま目を閉じて眠りに落ちかけたときだった。  どこかの扉が開いたらしく、フルボリュームの歌とタンバリンと嬌声が混ざった騒音が一瞬廊下を満たしてすぐ静かになった。つづいて、カツーン、カカ、カッツーンという足取りの乱れたハイヒールの音が響き、ドサッという音がして足音が消えた。おどろいて目をあけると、女がハイヒールのサンダルを片手に持って立ち上がるところだった。幸せな夢でも見ているかのように、その顔は微笑んでいた。そして裸足のまま蛇行しながら歩いてきて、長椅子のぼくのとなりに体を投げ出すように座った。ノースリーブの白いブラウスに鮮やかなターコイズブルーのスカートをはいて、なんというか、偏差値の高そうな色気を放ち、肩の辺りでゆるくウェーブした髪からかすかに誘惑的な匂いがした。長椅子からほとんどずり落ちそうになりながら女は手を上に伸ばし、「コーラ・・・」とつぶやいた。ぼくはまだ開けずに手に持っていたコーラを手渡そうとして、はじめて女の顔をちゃんと見た。頭の中でなにかがぐるぐるまわり、ある一点でぴたりと止まった。同時に息も止まった。上原由香利だ。  高校の3年間、上原由香利の人気はすさまじかった。彼女は図書委員をしていて、放課後はいつも図書室のカウンターにいたので、そこは学校の図書室とは思えないほどいつも混んでいた。おかげでうちの高校の大学合格率は、その時期だけ異例に高くなった。3年の夏休みの終わりごろ、学校に立ち寄ったぼくは偶然、上原が図書室のバルコニーに佇んで空を眺めているのを見たことがある。ぼくらはいつも彼女をちらちら見ながら騒々しく生きていたが、彼女の目にはどんな世界が映っているのか、それを知ることは永遠にできないのだと、なぜかそのとき唐突に思ったことを覚えている。  きのうの記憶はどこかで途切れている。目が覚めるとソファーに寝ていて、足元にスーツとワイシャツとネクタイが散らばり、ベッドの横には白いブラウスとターコイズブルーのスカートが無造作に置かれていた。梅雨が明けて、きょうは気温がぐんぐん上昇すると、FMのナビゲーターが告げている。ぼくはキッチンで2人分のスープをつくる。チキンと野菜を煮込んでカレーを入れる。二日酔いの朝には、このスパイシーなスープがどんなご馳走よりおいしい。できあがったら上原を起こして、夏がきたことを知らせよう。東側の窓から差し込む日が、どんどん強くなっている。空は、そうだ、ちょうど上原のスカートのように鮮やかなターコイズブルーだ。なにかがはじまるのか、それともなにもはじまらないのか、わからない。とにかく、夏がはじまったのだ。

Vol.7 ターコイズブルー

チキンココナッツカレー

ガーデンベジタブル

たっぷりの野菜と鶏肉をじっくり煮込みました。
Back Number
  • Vol.1 Juli@ボストン・クラムチャウダー
  • Vol.2 秘密@パンプキンパーティー
  • Vol.3 冬の星座
  • Vol.4 ふたりの温度差
  • Vol.5 春の夜、高架鉄道の走る町で
  • Vol.6 雨の音はどんな音
  • Vol.7 ターコイズブルー
  • Vol.8 再試合
  • Vol.9 クリスマスの片隅で
  • Vol.10 タイムゴーズバイ
  • Vol.11 飲みすぎた俺たちは夜明け近く春の街を歩く
  • Vol.12 蝉の婚活