MY SOUP DAYS スープボウル1杯分のちいさな小説

Vol.9 クリスマスの片隅で

 クリスマスのショーウィンドウはどこもかしこもこれ以上ないぐらいクリスマスのショーウィンドウだった。緑のアンゴラのセーターに赤いカシミアのマフラー、質のよさそうなウールの白いコート、ムートンをあしらったブーツ。ポインセチアとシクラメンと、きこりが切り倒した木の幹のようなクリスマスケーキ。歩道を歩くカップルたちもウィンドウの光に照らし出されて、誰も彼もがしあわせそうに輝いていた。 あ~あ。と、12月24日の夕暮れの街を歩きながら陽子は思った。クリスマスイブで休日なのに仕事なんてどういうこと?しかも本当はそれほどいやでもないなんていったいどういうこと!と心の中でつぶやきながら、オフィスに向かっていた。クリスマスから逃れることはできない。家にひとりでいたってクリスマスはやってくる。クリスマス女子会とかいう名目で集まったって、たいてい誰かしら悪酔いする子が出てくるし、仕事しか避難場所はないのだ。だから、今夜中に企画書を完成させなければならないのは憂鬱といえば憂鬱だけど、どこかほっとしている自分にも気づいていて、陽子はそれがまた情けなくもあるのだった。 外とはうって変わって、オフィスビルのロビーは閑散としていた。社員カードをかざしてゲートを通過すると、陽子はエレベーターに乗って30階のボタンを押した。 クリスマスで休日なのに仕事か、と光一は思った。30階のオフィスから見下ろす街は、ライトアップされた街路を中心にぼうっと霞のような光で包み込まれていて、そこにはふだんとは別の世界が広がっている。ラジオのスイッチを入れれば今夜はクリスマスソングばかりだろう。光一は外の世界が侵入してくるのを防ぐかのようにラジオもつけず、静まりかえったオフィスにはキーボードの音だけが響いている。ひとりで迎えるクリスマスは今年がはじめてだった。もしかしたら、という儚い期待がなくはなかったが、携帯電話は朝から一度も鳴らなかった。彼女は今頃どこか別世界できらきらと輝いているのだろう。この窓の外の別の世界で。 キーボードを打つ手がいつの間にか止まっていた。12月24日の夜のオフィスで、集中は途切れがちになる。食事にしようと光一は立ち上がった。  クリスマスイブに女がひとりで牛丼家に入ってテイクアウトするなんて悲しすぎるし、コンビニのお弁当だってこんな日にいやだし、クリスマスってほんとめんどくさい、と思いながら夕食を買いに出てきた陽子は、そうだ、パンとスープにしよう、と思いついた。パンとスープならなんとなくキリスト教っぽい。それにニューヨークだったらこういうときオフィスでクラムチャウダーなんか食べそうだし。 スープ屋も着飾ったカップルでいっぱいだったが、テイクアウトの列の先頭に、ひとりだけスーツ姿のサラリーマンがいた。ふつうならいちばんありふれた格好なのに今夜ばかりは異様に目立つ。背の高い人だけど、なるべく目立ちたくないと思っているのか、背中がなんとなく縮こまって見えた。その背中に共感して、胸のあたりからドキッという音がかすかに聞こえた。がんばりましょうね、と陽子はその背中に向かって心の中で声をかけた。 外に出ると、いつの間にか雪になっていた。けれど、熱いクラムチャウダーが入った紙袋を胸に抱えていると、胸の奥が少し暖まる気がした。 PCの画面に表示された時刻は10時をまわっていた。30階の窓の外では雪が強くなっている。光一は立ち上がって大きく伸びをした。雪と暖房のせいで窓は曇っていてクリスマスの街はもうよく見えない。光一はなんとなく窓際によっていき、雪の強さを見ようと手のひらで水滴を拭いた。そのとき、ちょうど向かいのビルの同じ高さの窓に、明かりがついていることに気がついた。 よし、できた、と、陽子は印刷のボタンを押した。そろそろ片付けよう、もう少しでうっとうしいクリスマスイブも終わる。給湯室に行き、コーヒーを入れてきて、洋子は窓際に立った。プリントが終わったら企画書を閉じてきょうはおしまいだ。しんとした部屋の中で、プリンターの音だけが聞こえている。陽子は手近な棚の上にコーヒーカップを置き、デスクに戻ってラジオのスイッチを入れた。ちょうど、ビング・クロスビーのホワイトクリスマスがかかっていた。雪のクリスマスなんて、恋人たちには最高のプレゼントだな、と思いながら彼女は再びコーヒーカップを手に取り、左手で窓ガラスの曇りをぬぐった。向かいのビルの同じ高さの窓にだけ、電気がついていた。上を見上げると、大粒の雪があとからあとからゆっくりと落ちてくる。そうしてしばらく雪を下から眺め、向かいの窓に目を戻したとき、彼女ははじめて気がついた。もういちど急いで窓を拭いて、そちらに目を凝らす。水滴をぬぐった文字で、そこにはこう書かれていた。 Merry Christmas!! ラジオから流れるホワイトクリスマスのボリュームが、頭の中で自然に上がった。きょうはじめて、誰かに話しかけられたような気がしてくる。さっき下で見かけた人かもしれない。ほかの窓には明かりなんてひとつもついていないんだから絶対そうだ。そう思っていたとき、向かいの窓の電気が消えた。陽子は時計を見た。11時。イブが終わるまでにまだ時間はある。プリンターに走り、できあがった書類をデスクに運び、急いでコートを着て明かりを落とし、彼女は30階のオフィスを飛び出していった。

Vol.8 再試合

ボストン・
クラムチャウダー

ボストン・クラムチャウダー

フレッシュなアトランティックサーフクラムの旨味をじっくり引き出した、コクのあるクリーミーなクラムチャウダーです。
Back Number
  • Vol.1 Juli@ボストン・クラムチャウダー
  • Vol.2 秘密@パンプキンパーティー
  • Vol.3 冬の星座
  • Vol.4 ふたりの温度差
  • Vol.5 春の夜、高架鉄道の走る町で
  • Vol.6 雨の音はどんな音
  • Vol.7 ターコイズブルー
  • Vol.8 再試合
  • Vol.9 クリスマスの片隅で
  • Vol.10 タイムゴーズバイ
  • Vol.11 飲みすぎた俺たちは夜明け近く春の街を歩く
  • Vol.12 蝉の婚活